伝統の中に光る“手作り”のクリスタル。
その気品と香りを現代に伝えたい…。
江戸切子の名称
町民文化の中で育まれた江戸切子は江戸時代の面影を強くとどめた意匠や技法に優れたものが多く、
現代に至るまで切子職人たちによって受け継がれております。
当時よく使われた切子文様およびその文様を施したガラス器を総称して「江戸切子」と呼んでいました。
現在では、一定の条件(1.ガラスである 2.手作業 3.主に回転道具を使用 4.指定された区域で生産)
に基づき作成された切子製品を「江戸切子」としております。
堀口硝子の創業者である堀口市雄氏が〈江戸切子〉作家として最初に名乗った号で、
現在は特に優れた商品に対してその箱書きに〈秀石〉の名を記し、落款が押印してあります。
これによって品質の高さを保証するとともに、
職人の気概の証となっております。
*商品サイズ:奥行24.8cm、高さ3cm
*素材:クリスタルガラス
*化粧箱入
*日本製
*〈秀石〉落款有
¥220,000
税込 / 送料無料
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*商品サイズ:奥行15.8cm、高さ2.5cm
*素材:クリスタルガラス
*化粧箱入
*日本製
*〈秀石〉落款有
¥132,000
税込 / 送料無料
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江戸硝子の歴史
古くはガラスの事を瑠璃(るり)と呼んでいましたが、
江戸時代には、びいどろ、ギヤマンとも呼ばれるようになりました。
びいどろはガラスを意味するポルトガル語で、江戸初期に舶来ガラス器と共に日本に入ってきたと
思われ、普通に吹きガラスを指していました。
一方、ギヤマンは元々オランダ語でダイヤモンドを意味していました。
それが江戸時代後期には、ガラス器、中でもカットやダイヤモンド・ポイント彫りを施した
ガラスを呼ぶようになりました。
江戸時代後期1834年に江戸大伝馬でビードロ屋を営む加賀谷久兵衛による切子細工が始まりといわれる江戸切子。
現在につながる精巧なカット技法が継承されたのは1873年官営の品川硝子が設立され、
1881年には切子(カット)指導者として英国人エマヌエル・ホープトマン氏を招き、
数名の日本人がその指導を受けました。
その中には大橋徳松がおりました。
堀口硝子の創業者である堀口市雄はその直系に当たります。